イランの歴史をばっさり省略、誤誘導の読売です

本日の紙面ですね。

左下の方に「タンカーを攻撃したのは、米国が主張するように、イランの革命防衛隊の可能性が高い」などと、ほとんど何の根拠もなく、小川和久氏が解説していております。その意図としては「タンカーに損傷を与えることで原油価格の上昇につなげ、世界経済への影響力を誇示する瀬戸際戦術で米国に譲歩を強いることだろう」などと勝手なことをほざいておりますね。

まぁ、こういった根拠無しのただの希望的観測というのは、新聞社は書けないので、このような鉄砲玉のごますり教授の役目となっておりますね。

しかし、本題はそこじゃないんです。米イラン間の仲の悪さの理由説明なんですが、こうです。

米国にとって、革命防衛隊は長年の敵だ。1979年に親米王政を倒したイラン革命の指導者、ホメイニ師が体制維持のため、正規軍とは別に設けた組織で、強い反米思想を持ち、現在の兵力は陸海空の約12万人に上る。

と非常に簡単な説明になっております。非常に都合の良い徹底省略した記述ですね。

Wikipediaの説明をみてみましょう。

 1940年代に国民戦線を結成したモハンマド・モサッデク議員は、国民の圧倒的支持を集めて1951年4月に首相に就任した。モサッデグ首相はイギリス系アングロ・イラニアン石油会社から石油国有化を断行した(石油国有化運動)が、1953年8月19日にアメリカ中央情報局(CIA)とイギリス秘密情報部による周到な計画(アジャックス作戦、英: TPAJAX Project)によって失脚させられ、石油国有化は失敗に終わった[30]。

このモサッデグ首相追放事件によってパフラヴィー朝の皇帝(シャー)、モハンマド・レザー・パフラヴィーは自らへの権力集中に成功した。1957年にCIAとFBIとモサドの協力を得て国家情報治安機構(SAVAK)を創設し、この秘密警察SAVAKを用いて政敵や一般市民の市民的自由を抑圧したシャーは白色革命の名の下、米英の強い支持を受けてイラン産業の近代化を推進し、大地主の勢力を削ぐために1962年に農地改革令を発した[31]。特に1970年代後期に、シャーの支配は独裁の色合いを強めた。

シャーの独裁的統治は1979年のイラン・イスラーム革命に繋がり、パフラヴィー朝の帝政は倒れ、新たにアーヤトッラー・ホメイニーの下でイスラム共和制を採用するイラン・イスラーム共和国が樹立された。

まぁ、要するにCIA、英情報部、FBI、モサドが一緒になり、イランの石油狙いで独裁政権を樹立、恐怖政治を敷いていたのが、1979年の革命でイラン国民に戻されたということでございます。

そしてこれはもちろん想像ですが、以前にクーデターを起こされそうになったベネズエラも全く同じ状況でしょうが、この連中に二度と好き勝手をさせないための強い軍隊を作り、もちろんある程度の腐敗をしていることでしょうね、国のトップを裏切らない仕組みになっていることでしょう。

この歴史としては、Wikipediaにまで書いてある明々白々の事実なのですが、さすがにCIA傘下の読売としてはこんなこと書けませんからばっさり省略するわけです。

したがって、読売読者にとっては「米国にとって、革命防衛隊は長年の敵だ」、「強い反米思想を持ち」の理由がさっぱりわからない仕組みとなっております。いつもながら鮮やかなお手並みに感嘆しておりますよ。この調子で頑張ってくださいね。